インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第4回 松田 公太 氏

1997年、銀座にタリーズコーヒージャパン1号店を28歳で開業。2008年現在、国内で300店舗を展開。タリーズ1号店開店に至る動機や道のり、現在、そして今後のタリーズインターナショナル会長としての展開について伺いました。

Profile

4回 松田 公太(まつだ こうた)

タリーズコーヒーインターナショナル会長 | クイズノスアジアパシフィック社長
筑波大学国際学類卒業後、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。1996年6月に退行し、9月からシアトルのタリーズ本社で交渉開始。1年以上に及ぶ交渉の末、日本における経営権を取得する。1997年、1号店を東京・銀座にオープン。1998年タリーズコーヒージャパン株式会社を設立し、2001年、飲食業最速(当時)でナスダック・ジャパン(現・ヘラクレス)に株式を上場。2008年、タリーズインターナショナル設立及び、クイズノスアジアパシフィック社長に就任。アジア環太平洋、その他の国々に舞台を移し、再びゼロからの挑戦を始める。
2010年、参院選東京選挙区 初当選(みんなの党)。
※肩書などは、インタビュー実施当時(2008年6月)のものです。

多様な「食」との出合い

 5歳から住んでいたアフリカ・セネガルの人たちは、白人を見慣れていても、単純に東洋人は異質な存在に感じていたと思います。私自身は現地の生活に自然と溶け込み、人種や文化の違いなどは意識しませんでしたが、食べ物ではカルチャーショックを受けました。感動、驚きという意味でのショックです。私たち家族は「ウニっておいしいね」と食べているのに、アフリカの友人はそれを見て「何それ」となるわけです。日本で高級食材のウニが、ここではゲテモノ食いなのだということに驚き、食べ物に対する興味が湧いていきます。

アフリカはヨーロッパに近いので、夏休みに家族でいろいろな国に行きました。どこの国に行っても初めて見る食べ物があり、たくさんの特産物に出合えてとても楽しかったです。オランダでは、見た目もインパクトのあるゴーダチーズに感動しました。それまでプロセスチーズしか食べたことがなかったので、赤くて大きいこれがチーズで、チーズはこうしてできていることを知っただけで驚きでした。もらったお小遣いを全部ゴーダチーズに投資していたこともあります。子供のころからそういった体験が、おいしいと感じる感動は、その国への興味につながることに気づきました。

食を通して文化の架け橋に

私がアメリカに住んでいた30年くらい前は、raw fishは気持ちが悪いと現地の友人は絶対に受け入れませんでした。それが悲しくもあったのですが、反面、おいしいと思ってもらえれば、日本のことを好きになるのではないかと考えました。raw fishが人種差別のブロックになっているのであれば、それを取り除いたら、こんなおいしい寿司を食べる日本に行ってみたいとなり、観光客も増えるのではないかと思ったのです。

アメリカで当時付き合っていた彼女が、私の紹介がきっかけで日本の漫画を好きになり、「いつか必ず秋葉原に行って、本場でアニメを見てみたい」と言ったことも背景にあります。全く日本のことを知らなかった彼女がそこまで言ってくれたことに感動を覚え、日本食もたくさんの人たちに広めておいしいと感じてもらえたら、日本に行ってみたいと思うようになるのではないかと本気で考えていました。

本物を感じたい気持ちが、延いては文化交流へと繋がってほしいという願いもあります。食べ物がお互いの国を好きになるきっかけとなり、本当の意味で仲良くなれるのではないか。こうして、「食を通じていろいろな文化を持っていくような仕事がしたい」と思うようになりました。

タリーズコーヒー

2006年の敵対的買収の時、タリーズコーヒーをもっと広めたいという思いが根本にあったので、そのための組織作りを第一に、アメリカ型のガバナンスを作りたいと思いました。しかし、7名の取締役のうち5名が社外取締役という状況で、みなさんそれぞれにアジェンダがあり、利益を考えなくてはならず、本当にタリーズコーヒーを良くしようという話にならなくなりました。結局、私自身が軸をぶれずに最後まで戦い、結果、伊藤園という最良のパートナーを見つけることができました。今となっては、自分が成長するためのいい経験だったと思っています。

MBO、TOBしたのは、タリーズUSAと合併するためでした。アメリカのNASDAQに上場し、自分がCEOとしてすべての経営権を持ち、アメリカの経営を立て直してアジア展開をしていこうというプランでしたが、アメリカ側のファウンダーのサインをもらえず、代わりに日本の商標権を買いました。自分が目指しているゴールに、すべて到達しているわけではありません。一歩手前で終わってしまっているものもあります。本当は商標権を完全に押さえられる買収を目指して頑張っていましたが、そこに行き着く手前で終わりました。

しかし、これまでやってきたことを振り返ってみると、ほぼ自分が立ちたかった場所に居ることができています。 本当は全世界が目標ですが、まずはアジアパシフィックからの展開という目標も立てているので、結果的にはこれで良いのです。やはり大事なのは、明確な目標を持つこと。そこからずれてしまうことは絶対にあります。5年ごとの大きな目標を目指していく中で、1年ごとの目標が達成できずに、途中で方向転換しなければならないことがあっても、基本だけはぶれずに明確な目標に向かったからこそ、今ここに立てていると思います。

日米の企業風土の違い

自分で事業を起こそうと思ったのは、海外での生活が影響しているかも知れません。日本に住んでいたら、そういう考え方はあまり育たなかったでしょう。アメリカで、友人の父親が独立して会社を起こし、成功してその家の生活が変わっていくのを目の当たりにしました。自分で仕事をして成功すると生活も良くなり、頑張った分だけ得られると、子供ながらに理解していました。 日本では起業して大成功しても、心から賞賛するという文化はないような気がします。ですから、日本の子供たちに将来何になりたいか調査をすると、公務員など安定したイメージのある職業を選ぶのではないでしょうか。

新卒の人に「社長になりたいか」という質問をすると、だいたい10%しかなりたいと言いません。理由は「大変そう」や「責任がある」といった程度のものです。社員の1人が小さい頃、お金を貯めてロボットを買い、大勢に貸して欲しいと言われたため、1日100円で貸し出し、おもちゃ代を回収できたという話を聞いて親が怒ったそうです。私なら誉めると思います。日本はお金を稼ぐことを善いとしない文化があるからかもしれません。

私の信条

 常に”No fun No gain”をモットーに、100%仕事を楽しんでいます。例えば、ワールドカップクラスのサッカー選手は、練習のない日でも他のことはせずにサッカーをすると思います。楽しいからできてしまうのです。上達していくと自分の成長が感じられ、楽しくて人生がサッカー一色になってしまう。同様に、仕事も楽しくて仕方のない人は目的があり、仕事が趣味でもあるのです。楽しんでできるから続いているし、苦にならずに、次の目標を見据えて進むことができます。頑張った分だけ数字に表れるので、目標も立てやすく続けられる。現状維持ではなく、目標を持って常に前向きに、少しずつでも向上する姿勢が生きていく上で重要だと思っています。

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今のタリーズコーヒージャパンがあるのは、自分の立てた目標に向かい続ける松田さんの前向きなエネルギーがあってこそだと思いました。松田さんの「どんなに大変だろうがやりたい気持ちの方が強いので」という思いが、常に目標を実現するための原動力になっているのだと実感しました。自分を常に成長させる環境作りが、長期的な経営を維持する上で大切なのだと身にしみて実感したインタビューでした。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2008年6月 タリーズコーヒーインターナショナル東京オフィスにて  編集:楠田尚美  撮影:鮎澤大輝