インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第65回 中岡 生公 氏

「菓」の一文字が印象的な紙袋。手土産品として博多発の和菓子が、今や、全国にその名が知られるところとなった鈴懸。圧倒的なクリエイティブで興味をそそり、老若男女が店先に列をなすお菓子づくり、店づくりの原点とは。今の時代を和菓子に映す三代目中岡生公氏に、人気の秘密を伺いました。

Profile

65回 中岡 生公(なかおか なりまさ)

株式会社鈴懸 代表取締役
1969年福岡県生まれ。大阪の菓子店で修行したのち、1991年株式会社鈴懸に入社。2010年代表取締役に就任。“現代の名工”に章された祖父 中岡三郎の技術と味を受け継ぎつつ、独自の感性で菓子本来がもつ美しさを追求し続けている。
鈴懸ウェブサイト
http://www.suzukake.co.jp/
※肩書などは、インタビュー実施当時(2017年8月)のものです。

忘れられない味の記憶

僕が最初に食べた和菓子は、物心がついた頃に食べた鈴懸の初代である祖父が作った大福でした。家と店と工房が一緒の敷地にあって、家に帰った時に鼻をかすめる小豆を炊き上げる何とも言えない優しい香りや、工房でつまみ食いした時の大福の柔らかな感触、餡だけではない餅自体の自然の甘み、そういった香りや感触を含めたすべてが「和菓子は美味しい」という僕の味の記憶になっています。本当に旨かった。 のちに、大阪の箕面市にある和菓子屋へ2年間修行に行くのですが、店の奥でお父さんが一人で作ったお菓子を表でお母さんが売る小さな和菓子屋でした。そこでも小さな頃の記憶が蘇って自分の家もこうだったな、と思い出しながら修行を積んでいました。 でも、修行を終えて福岡の実家に戻った時、大福の味が昔と変わっていることに気づきました。理由を尋ねると、餅が硬くならないように手を加えていたのです。お土産市場がどんどん拡大されていた時期だったので、日持ちがするよう餅に砂糖を入れて生産性を上げていたわけです。大福はついた餅で包む。当然、一日経てば硬くなる。生産性を上げるために砂糖を混ぜた餅で作られた大福は、かつて美味しいと思っていた大福とは明らかに違っていました。当時の鈴懸の二代目である父や職人たちに、昔の祖父の味が美味しいと思う僕は、少し違和感を覚えました。 しかし、父も「時代はこうなんだよ」と言いながら、絶対に餅はついたままが美味しいことは分かっていたんです。だから僕は元に戻した。子どもの頃の舌で覚えていた味を再現したのが、今の鈴懸の味なのです。

当たり前のものを当たり前に作る

お土産や贈答品が多く求められていた時代背景の中で、誰にでも「美味しい」と感じていただくために、職人たちにとっては手間がかかる方へ、あえて戻したかった。そこで鈴懸とは別に、地元百貨店に五尺の小さなショーケース一本だけの空間で“鈴(りん)”という、自分が好きだった朝生菓子八品だけを揃えた店を出しました。朝作って、その日のうちに売る。昔のままのスタイルです。そして、そのお菓子は職人長だけが作ることにして味の品質を保ちました。毎朝、自分の手で店に持って行き、自分の口でお客さまに商品への思いを伝えたくて店に立ちました。最初はクレームを受けることもありました。「大福が硬くなる!」と。それに対して「つきたての餅で作っているので賞味期限は一日だけなんです」、「一日で食べきれずに硬くなったら、トースターやフライパンで焼くと、また違った美味しさが楽しめますよ」などと説明を続けました。そうしていくうちに、だんだんと“鈴”のお菓子の美味しさを理解いただけるようになりました。戦略なんてないし、まったく売れないリスクもありましたが、売れることよりも、この方が美味しい!という自信があったんです。それと、お客様に喜んでいただきたいという気持ちが強かった。僕らはやはり饅頭屋。だから、まずはそこが美味しくないとね。 最初はお金がなくてショーケースも自分たちで設計して白木で作り、皿も焼きました。朝作りたてのお菓子を盛る。木と土にお菓子を入れて結ばれる。その有り様がきれいだと思いました。すべて裸。包みません。すでに包まれたお土産品のように中身が見えないものを売るのではなく、商品そのものを見て選んでいただいて、まずは買ってくださった方に食べてほしい。その延長線上に贈り物があるのだろうと。だからお菓子は見えるようにして売りました。 花瓶を立て、適当ではあるんですが自分で花も活けました。和菓子ですから、日本の四季を感じてもらいたい。お菓子は、三度の食事のように食べないと生きていけないものではなく、ほっと一息つくときに一口二口で食べられるお菓子をつまんで季節を感じたり、ほんの少し気持ちに豊かさが生まれたり、お菓子はそんな風であってほしいと思っています。そして、鈴懸の店もそんな存在でありたい。僕にとって最初の店舗“鈴”を作ったときの思いと、お菓子にかける思いが常に店に息づくように、全国7店舗のすべてに “鈴”の店幅と同じ五尺の空間を設けて、季節の花を活けてお客様をお迎えしています。まず花で季節を感じていただき、それからお菓子を選んでいただく流れです。 機械は一切置かず、百貨店の中の店舗であっても店の奥で職人が手づくりして店先に並べる。ガラス張りですので作っている様子はお客様に見ていただけます。それは、小さな頃の自分の家や修行した大阪の店がそうだったように、昔から当たり前に行われていた通りに手間ひまをかけて、きちんとその場で作っている様子が見てとれて、その日に作られたお菓子をお買い求めいただく。それが美味しさであり、美しさに繋がるものだと思います。

上質な普段着でありたい

時々、ものすごくこだわって商品づくりや店づくりをしていると思われがちなのですが、実はこだわらないのがこだわりなのかもしれません。例えば、生菓子をお入れしている箱はとても簡易なものです。ご家庭用として買われたものや、ちょっとした手土産にお遣いになるものは、箱代がかからない方が良いと思っています。贈答用には手をかけた竹かごをご用意しています。捨てるものと残すものをはっきりと分けて、お客様に選んでいただけるようにしています。 季節の掛け紙は懇意にしている日本画家の方が描いてくれたり、店頭でお菓子を盛っている大皿は、昔から付き合いがある佐賀の陶芸家の方が焼いてくれたり、店の設計をしている建築家や看板を作ってくれた金沢の漆芸家など、様々な方に関わってもらっています。そのクリエイターや作家とのとりとめのない会話の中で、これは面白いと思ったことが形になって鈴懸はできているんです。さらに僕自身の趣味や好みといったフィルターもかかり、モノが作り上げられ鈴懸としてまとまっているのだと思います。でも、“鈴懸”という文字は目立たなくていい。看板の文字も、紙袋も店名は目立つようには作っていません。看板の名前を見て鈴懸とわかっていただくのではなくて、店の雰囲気や空気感を感じ取っていただいて、「これが鈴懸だね」と言ってもらえるのが嬉しいのです。 最近は、海外で鈴懸の和菓子を紹介する機会が増えましたが、どこであっても現地の材料を使い、現地の生活に合わせたお菓子を日本人の感性で作ろうと心がけています。美しく細工された上生菓子が和菓子の代表のように紹介されることが多いですが、それだけではないと思います。抹茶ではなく、シャンパンに合わせる和菓子があってもいい。伝統菓子だけでなく、大福も、ぼた餅も、海外の材料で作った和菓子でも、普段の暮らしの中できちんと作ったものを口にして、気持ちが少し癒されたり豊かになったりする。それこそが美しいものだと感じます。“上質な普段着”といったところでしょうか。それはお菓子づくりにも店づくりにも通じる、鈴懸の姿のように思います。時代が変わっても、ついつまみ食いしたくなるような、美味しいお菓子を作り続けたいと思っています。
杉山大輔さんと会って、行動する勇気というものを再確認させられました。伝統文化も、その時々の変化の積み重ねがあって今がある。 「動かなければ何も始まらない!何も変わらない!」彼の周りを元気に巻き込んでいくパワーに刺激を受け、益々これから僕自身もチャレンジを続けなくてはと背中を押されました。 楽しい時間でした。ありがとう。

株式会社鈴懸 代表取締役 中岡生公


手土産にいただいた鈴懸のお菓子を食べて「わお!」と感じ、中岡生公社長にお会いしたいと思い、すぐに会社に連絡をして福岡に行き、『私の哲学』へのご出演を快諾いただきました。やはり、会いたい人には会いたい(笑)。そのためには行動!中岡さんは、心も身体もデカイ!本質を掘り下げ、常に進化のための創意工夫する姿など、ジャパニーズクラフトマンシップを強く感じました。福岡の本店に行かれない方は、新宿伊勢丹内の鈴懸に是非お立ち寄りください。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2017年8月 株式会社鈴懸にて  編集:「私の哲学」編集部  撮影:日高 康智