インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第62回 齋藤 太郎 氏

『角ハイボール』をはじめとするサントリーウイスキーのブランディングや、資生堂のコーポレートスローガン『一瞬も一生も美しく』、日本テレビジョン『見たい、が世界を変えていく。』、江崎グリコ『プリッツ』など、コミュニケーションデザインの分野で企業やサービスの課題を解決し続ける、齋藤太郎氏のこれまでとこれからの道とは。

Profile

62回 齋藤 太郎(さいとう たろう)

コミュニケーション・デザイナー
株式会社dof代表取締役社長、株式会社CC共同代表、株式会社VOYAGE GROUP社外取締役、株式会社オーシャナイズ社外取締役、NPO法人TABLE FOR TWOグローバル戦略委員。
1972 年アメリカ、オハイオ州クリーブランド生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。10歳で来日後、少年時代を佐賀と名古屋で過ごす。アメリカンフットボールとバックパッカーに夢中になり、放浪した国は30カ国以上。経営戦略の策定からサービス開発、マーケティング戦略立案、メディアプランニング、クリエイティブの最終アウトプットに至るまで、「課題解決」を主眼とした提案を得意とする。幅広い人脈を生かしてのプロデュース力、実現力にも定評があり、経営トップへのコーチング、ベンチャー企業などの経営支援、海外案件にも精力的に取り組んでいる。
※肩書などは、インタビュー実施当時(2017年7月)のものです。

齋藤太郎とは?

現在、コミュニケーションデザインを生業とする株式会社dof(ドフ)を立ち上げて、13年目。電通で一緒に仕事をしていた日本の広告業界を代表するクリエイティブディレクター(CD)大島征夫氏の定年のタイミングに、「こんな優秀な人が引退するなんてもったいない!」と思ったことが起業のきっかけでした。電通のグループ会社としてスタートしましたが、継続して必要とされる会社であり続けるため、リスクを取って独立の道を決めました。それが4年半前です。そう考えた理由の一つに、ボクのルーツとも言える好奇心旺盛な2人の祖父が関係しているかもしれません。父方はトヨタ自動車、母方は小池酸素工業という東証2部上場企業の、どちらも創設メンバーの一人。彼らが関わった会社が、今現在も連綿と続いていることへの凄さと大切さを感じています。

少し話は逸れますが、両祖父は驚くほどの旅行好き。特に父方の祖父は仕事柄、自動車に関係する情報を世界中に求め、行ったことのない国はほとんどないくらいでした。当時、車先進国のイタリアへ行くには、飛行機で東京から福岡、福岡から沖縄、沖縄から上海に飛んで、タイ→インド→中東、そしてやっとローマに到着するという、今では考えられないほどの乗り継ぎをするから、一度行くと2ヶ月ぐらいは戻れない。確か『地球はまるい』って本を書いていましたね(笑)。その祖父は旅行好きが高じて、今から40年くらい前、南極越冬隊の昭和基地に1ヶ月帯同して、何万年も前の氷河の氷を持ち帰って酒を飲んでいたというエピソードも。ボクの多動的な部分は、彼らに起因するのかもしれませんね。

相対評価の軸

旅には良く出かけます。子どもたちを連れて発展途上国にも行きます。人間は、相対評価の生き物だから、周りと比べてどうなのかという見方は必要だと考えています。ずっと同じところにいると鈍ってしまう。だから、自分への負荷として場所を変え、視座を変えてみることが必要なんだと思います。良くも悪くも、ボクらが生きている今の日本は常に“ガラパゴス状態”。清潔ですべてが整っていて、ある意味特殊な状況です。そこで日々、ウキウキしたり、悪いことが起こってクヨクヨしたり。でも、発展途上国でまったく異なるウキウキやクヨクヨに出合うと、「世界は広いなー」、「オレの悩みなんてたいしたことないなー」と、本当の心の水平を取り戻すことができます。

旅行でなくても、家族とだけ関わる世界から学校、会社、そして社外の人、まったく違う仕事をしている人、日本以外の国の人と広げることでも軸は変えられます。また、アウトプットは、インプットの量で決まると思っています。ボク自身45歳になる今も、吸収するパワーがあるうちはインプットを続けないとだめだし、そういうパワーの持ち主たちと常に積極的に関わるようにしています。“若くあること”とは、年齢にかかわらず貪欲なこと。言い換えれば貪欲なパワーを持ち続けられるうちは若くいられる。この世界には、まだまだ見たことないものは絶対にあるからね。

dof=齋藤太郎が勝ち続けられる理由

コミュニケーションデザイナーとして手がけてきたキャンペーン

“コミュニケーションデザイン”という領域で仕事をしていますが、これがわかりにくい!(笑)。公式ホームページでは、主にアウトプットした仕事を事例にしていますが、「格好いい仕事(ばかり)していますね」、「CMをつくる会社ですか」と言われます。本当はもう少しいろいろあるので少し深掘りします。

業界の中でボクの経歴は少し変わっていて、電通時代にメディアバイイングと営業(プロデューサー)、会社を立ち上げてからクリエイティブ/コミュニケーション・デザインと経営を経験しました。この4つの領域を経験しているのは、日本ではたぶんボクだけなんじゃないかな。だから、マーケティングの各分野の課題を垂直統合で考えることができ、目線をクライアント、代理店、経営者のそれぞれの視座でとらえることができるんだと思います。

その強みをもって、クライアントの本当の課題を一緒に探すコンサルテーションから始めて、最終的なアウトプットまで、足並みを揃えて一緒に走ることができる。「TVCMをやりたい」、「ホームページを作りたい」、「ブランドスローガンを考えてほしい」と言われたとき、本当にその手段が最適か、というところからスタートさせることが多いですね。最初の分かれ道で、どれを選ぶとどこへ行くかという想像値が早い。なぜそれが可能かというと、dofには売らなければならないものがないからなんですね。事情に左右されず、トータルで一番良い解決策を考えることができるということです。

「dof=齋藤太郎」からの脱却とこれから

では、実際はどう仕事をしているのか。これまで楽しい仕事を数多くできたのは、まずは広告業界を代表するクリエイターであり、数々の実績がある、クリエイティブ・ディレクターの大島征夫氏と、齋藤太郎の仕事を知る人が多かったことに尽きると思います。ですが、広告業界も世の中も、ものすごいスピードで変化しているので、自社のやり方やあり方をさらに昇華させる必要性を強く感じています。

ボクの理想は“人材の梁山泊化”なんです。自分の名刺や顔で食べていけるような、いろいろな能力を持つ一人ひとりが最強の会社。それは、この業界が一人の天才と周囲のスタッフという構造が多くて、代表のクリエイターやアーティスト自身が不在になると、その会社の元気がなくなってしまうことが多いと感じるからです。

dofの社員は皆、ボクが居なくなっても、どこでも通用すると思っていますよ。だけど、ボクが第一線を退くときはいつか来るわけで、その時に社員が変わらず働き続けられる組織や仕組みづくりはないがしろにしちゃいけない。でなければ組織で仕事をする意味がないし、社長としては無責任だと感じるようになった。
だからこそ、“dof=齋藤太郎”を早く壊してしまいたい。そして、会社全体の成功の再現性を高めていきたいです。

ボクの全然知らない人がバトンを受け継いでも、dofという会社があって良かったと思われたい。会社はボクのアウトプットの一つだし、何よりも、その企業がそこに存在することで、100年後もその会社が世の中の役に立っていることは、素晴らしいクリエイションだと思うから。

はじめて杉山大輔くんに会ったのはもう6年以上前の話になりますが、最初から彼の持つ日本人離れ、いや地球人離れした底知れないパワーに圧倒されて一気にファンになりました。そのあともお互いに関係を深め、何かと慕ってくれる彼が放っておけなくて、時には先輩として耳が痛い苦言を呈したりしたこともありました。でもどんな時でも大輔くんはポジティブで前向きなんですよね。人の話あんまり聞いていないだけかもしれませんが(笑)
この『私の哲学』シリーズもようやく出させて頂けることになりましたが、彼はこれを1000回まで続けることを目標にしているそうです。10年で60回まで持って来たこのシリーズを1000回まで持って行くだなんて、いくつまで生きるつもりなんだろう、って思わされますが、彼なら実際にやっちゃったりするんじゃないかって思わされるから本当に不思議な男です。

コミュニケーション・デザイナー 齋藤 太郎


齋藤太郎さんに出会ったことで、僕は次のステージへの“チャンス”という切符を何度も手にすることができました。様々な業界の方をご紹介いただいたり、初めて東京マラソンに参加したり、その他にも初シンガポール、初香港、初那覇マラソン、先日の初スパルタンレースなど。多少背伸びをしないと同じレベルに立てないので、いつも背伸びをするための工夫と努力をしてきました。常に意識していることは、“チャンス”という切符に感謝してそれを十分に活用し、往復の“チャンス”を返せるかどうかです。コミュニケーションのプロである太郎さんからは学ぶことがとても多く、彼に会ったら、仕事抜きで会いたい、一緒にいると抜群な刺激を受ける人と、きっとみなさんも思うはずです。
60回以上実施した『私の哲学』を通して、登場してくださった方々に3つの共通点があることに気づきました。

  1. 元気な大人である
  2. 遊び心がある
  3. 旅をして見識を高めている

この3つは、困難が多い時代を自分で切り拓いていくために必要な、ヒントを与えてくれると思います。
100名の『私の哲学』の到達は見えてきました。次は世界を舞台に1,000名を目指します。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2017年7月 株式会社dofにて  ライター:マツオシゲコ  撮影:Sebastian Taguchi