インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第94回 黒川 清 氏

医療、教育、政策と数々の現場で活躍されてきた、黒川 清氏。海外での経験も豊富な氏に、新しい時代を迎える、今の日本の教育に必要なことについてお話しいただきました。

Profile

94回 黒川 清(くろかわ きよし)

医学博士 | 政策研究大学院大学 名誉教授 | 日本医療政策機構 代表理事
1936年生まれ。東京大学医学部卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授、東京大学医学部教授・名誉教授、東海大学医学部長・特別栄誉教授、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、内閣特別顧問、東京電力福島第一原子力発電所事故の国会による調査委員会委員長など、さまざまな要職を歴任。
主な著書に『世界級キャリアのつくり方』(共著、東洋経済新報社)、「大学病院革命」 (日経BP社)、『イノベーション思考法』(PHP新書)、『規制の虜』(講談社)、『なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか』(解説、PHP研究所)他。

成長していない平成の日本

平成の30年間、日本の経済は実質的ドルベースでは成長していません。この間には、1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、インターネット時代が始まり、1991年〜97年頃にかけて日本のバブル景気が後退し、1995年には阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件、住専問題などが起きて、1997年は山一証券が廃業しました。阪神・淡路大震災の1年前、同じ1月17日にロサンゼルス地震が起きたのを知っていますか?ロサンゼルスの高速道路が崩落した映像を見て、「日本だったらこんなことはあり得ない」とあざ笑うようなコメントが聞かれました。ところが、翌年同じことが起こり、崩れた高速道路から「政産官」の「鉄のトライアングル」の背景と、ゼネコンの手抜き工事が露呈しました。人のことを笑っていた天罰か、と思いました。その後も、新幹線のトンネル内でコンクリートの塊が落下するなどの事故が次々と起こりました。 日本の経済がこの30年間成長していない根本的な問題は、世界でも例のない「ヨコ」に動くことができにくい極端な政産官の「タテ」社会、新卒一括採用、終身雇用、年功序列、何かおかしいと思ってもいろいろ意見を言えない「ソンタク男子」の社会、という意味であって、現在のように、自分の出世や保身のために意見、異論を言わないのは、アカウンタビリティーの対極にあります。アカウンタビリティーは、自分が立場のある者としていろいろ意見を聞き、「責任を持って決める、実行する」ということです。「説明責任」などというのは、まさに典型的な「ロスト・イン・トランスレーション」です。 オウム真理教による東京都庁小包爆弾事件の実行犯の一人に、私の教え子である東京大学医学部卒業の研修医がいました。事件の1年前、研修期間がまだ1年残っているのに、「やりたいことがあるので辞めたい」と言ってきた。何をするのか聞くと、それは言えないと言う。彼の性格からすると、演劇か音楽でもやりたいのかと思っていたんですが、あのような事件を起こしてしまい残念です。 優秀な人が、なぜ犯罪を犯してしまったのか。それは、偏差値の高い学校に入るためだけの勉強をしていて、社会性を身につけていないということがあるでしょう。オウム真理教には、何人もの一流大学卒のとても優秀な人がいたことにショックを受け、責任を感じました。偏差値中心の神話が崩れたと思いました。

高等教育とは

日本の大学では入学してからは、それほど勉強しなくてもいいのですからひどい話です。これからは、本物の実力が問われるようになるでしょう。オックスブリッジの入学試験では、「地球には1万メートルを超える山がないのはなぜか」といった問題を出し、どのようなロジックで回答するかを見ます。ハーバード、プリンストンやバークレーといったアメリカのトップ10に入る大学では、プラトンやアリストテレス、マキャヴェリの『君主論』、マルクスなどを読まされます。授業の9割は内容をめぐる「議論」が行われ、本を読んでいないと参加できないので猛烈に勉強量が多い。日本では、プラトンについては先生の講義を聴くスタイルでしょうか。 オックスブリッジに留学経験のある方に聞くと、毎週のように十冊くらい本を読まされ、自分の意見を数枚にボールペンで書いたうえで、「チューター」の先生にプレゼンするそうです。「あれほど脳みそをディープに使った経験はない」と言う方が多いです。 イシューに対してすぐにコンテクストを感じ取る、自分の考えをどのようなフレームで考え、考えをまとめ、意見を言うのかはとても大事なことです。日本はイシューに対して現在から考えがちです。コンテクストもなければ、フレーミングもない中で、「イエス」か「ノー」の議論をあれこれしている。東京大学の学生たちの才能が生かせているのは、クイズ番組ぐらいのもの、などと言っていますが、これではいずれコンピューターに負けるでしょう。知識を用いて議論する、考える、これこそが高等教育だと思います。ウィンストン・チャーチル曰く、“The first duty of a university is to teach wisdom, not trade; character, not technicalities. ” 知識と知恵は違う、歴史から学ぶ知恵が大事なんです。知識だけを蓄えてきた日本人が、考える経験を積んできた海外の真のエリートたちに、コンセプトではなかなか勝負できません。

外から日本を見る

海外に出ると、自分の国の国民性や文化の良さも弱さも、相対的に感じ取ることができるようになります。例えば、イギリスからたくさんの本を持って帰って来て、自分で読み解き、いくつもの本を著し紹介した福沢諭吉や、ヨーロッパ諸国で学んだ岩倉使節団、長州ファイブ、薩摩セブン、山川健次郎、また私が委員長を務めた国会による福島原発事故調査委員会の報告書の「はじめに」で紹介した朝河貫一など、明治維新の頃からは海外へ行って学んだ人がたくさんいました。 現在のように、テレビや旅行で海外の様子を見たり体験しただけで行った気になってしまうのではモノの本質を感じとることはなかなかできません。人間にとって重要な心をつくるのは「実体験」です。実際に外の世界に、できれば「個人」の資格で行って自分の目で見て、感じ、いろいろな人に出会う。海外に出ると日本が相対的に見える、感じる、弱いところを認識でき、健全な愛国心が生まれます。

インディペンデント・ライフ

近年、100歳まで生きる人が多くなってきました。女性は60歳を、男性は70歳を過ぎたくらいからだんだんと体は弱くなります。ところが、なぜか男性で100歳までほとんど変わらない人が数パーセントほどいるということです。東京大学 高齢社会総合研究機構の秋山弘子さんの研究によると、100歳まであまり変わらない男性の特徴は、インディペンデントな人だそうです。 私は場所や所属を変え、いろいろな同僚、友人と出会う機会をもつことができました。14年余にわたるアメリカの大学生活の後、本拠としていた東京大学を定年まで勤めずに辞めました。想像もつかなかったことですが、東海大学から医学部長にとお誘いを受けたからです。辞めずにいたら、おそらく公的な病院の院長にという話も来たかもしれません。しかし、アメリカで何人かの「ロールモデル」に出会い、また多くの「メンター」に育ててもらった私は、どうしても教育の場にいたい、と強く思っていたのです。帰国後、学生に対して親身になれる自分に気づきました。いろいろな場面ですばらしいメンターに出会い、育ててもらった経験がないと、良い教育者にはなれないのではないかと思います。教育の基本は恩返しです。若い人はロールモデルを見つけ、「こういう人になりたい」という具体的なビジョンを持ってほしいですね。日本で見つけられなければ、これからの時代、若いときにどんな形でも海外に行って勉強する、仕事をする、NPOに参加する、などはとてもいい経験です。自分が変わっていくのを感じるでしょう。祖国にはいつでも帰れますから。
杉山大輔君は、明るく、前に前にと行動する若者、そろそろ7年ほどのお付き合いになる。たまにお会いするが、何か楽しそうな計画とか、面白い出来事などはメールで知らせてくれる。『私の哲学』の企画もずいぶん前から聞いていたし、ユニークな人たちと、いくつかの多彩な企画をいつも動かしている。 今回のインタビューもセッテイングから彼の軽快なテンポで進み、カメラマンは宮澤正明さんという贅沢、最後に「カーぺ・ディエム 今日を生きる」に話題が移って終わった。その夜にメールで「このインタビューは“インディペンデント ”と“カーぺ・ディエム、 今日を生きる”ですね」ときた。本質をつかむ、行動も、仕事もテンポが早いのだ。日英バイリンガル、そして家族を大事にしている。また何か一緒にやりましょう。

医学博士 黒川 清


82歳の黒川清先生と接していると、「年齢は単なる数字」と思ってしまいます。姿勢がとても良く、お会いするときはいつもビシッとスーツで決めておられます。 インタビューでは「平成」の出来事を話しながら、日本と世界の変化など興味深い話ができました。人類学の常識として、外部との接点がない村は滅びる可能性があるが、外の世界とつながっている人が村に一人でもいると生き延びる、という話をされました。同じ場所にいると同じ考え方になりますが、違った場所に行けば、物事を多面的に見ることができます。 僕は多感な時期をニューヨークで過ごしたことで、日本の良さや素晴らしさを客観的に見ることができました。とても良い要素がたくさんある日本ですが、グローバルの環境は日々変わっているので、自分の軸を持ちながら変化して、常に自分をアップデートしなければと思いました。 先生の「インディペンデント」と「今日を生きる」マインドを持ち、一歩一歩1日1日を大切に行動していこうと思いました。

『私の哲学』編集長 DKスギヤマ

2019年2月 政策研究大学院大学(GRIPS) にて ライター:楠田尚美 撮影:宮澤正明