インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第3回 内田 繁 氏

2007年7月、インテリアデザイナーとして初の紫綬褒章を受賞された内田繁先生に、インテリアデザイン活動における、これまで大切にしてこられたコンセプトについてお聞きしました。

Profile

3回 内田 繁(うちだ しげる)

インテリアデザイナー
桑沢デザイン研究所卒業。東京造形大学、桑沢デザイン研究所客員教授。毎日デザイン賞、商環境デザイン賞、第1回桑沢賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章等受賞。

日本を代表するデザイナーとして、商業・住空間のデザインにとどまらず、家具、工業デザインから地域開発に至るまで、幅広い活動を国内外で展開している。

代表作に、六本木WAVE、山本耀司ブティック、科学万博つくば’85政府館、ホテル・イル・パラッツオ、神戸ファッション美術館、茶室「受庵、想庵、行庵」、門司港ホテル、オリエンタルホテル広島など。メトロポリタン美術館、サンフランシスコ近代美術館、モントリオール美術館、デンヴァー美術館等に永久コレクションが多数収蔵されている。

※肩書などは、インタビュー実施当時(2007年11月)のものです。

内田繁氏におかれましては、2016年11月21日、享年73歳で永眠されました。
「私の哲学」が2007年に開始されてまだ3回目の時にご出演していただき、様々なアドバイスを頂き「物事を観察」する姿勢はこの時から実行してきました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。R.I.P.
「私の哲学」編集長 杉山 大輔

人の観察

私は、「デザインとは、人間の暮らしを豊かにするもの」だと思っています。人間の暮らしを豊かにするには、まず人間を観察することから始まります。人はこうすると喜ぶ、嫌がる、どういう場所に行くと嬉しいといったことまですべて、人も自然もあらゆるものを細かく観察します。その上にデザインは存在しているのです。基本となる普通のデザインがきちんとしていない国はだめです。特別なものがあることがその国の豊かさを示しているわけではなく、日常の暮らしを清潔に簡便で穏やかに、そして能率的にできている国が良い国であり、日常の生活文化が良い国をつくっていると言えます。

人間の暮らしには、日常生活とは別にいろいろな時間があります。少し日常から離れたリラックスする時間、あるいは結婚式やお葬式といった時間。人間が生きているこの日常、非日常、超日常の異なる時間に対してそれぞれデザインは存在しています。デザインという言葉を聞くと、「何か特別なことをやってくれるのではないか」と周囲の人は期待しますが、本来デザインというのは特別なことのためにあるわけではありません。勘違いをしているデザイナーも多いですが、むしろ日常の方が重要なのです。もちろん、人が日常の暮らしを離れたいとしたら、そこには違ったデザインが必要になり、そのデザインも重要。デザインは心身のあらゆる側面に寄り添う仕事だと思います。

違うということ

私が生まれ育った横浜には、アメリカ系、ヨーロッパ系、中国人に韓国人、労働者やサラリーマンとさまざまな人たちが住んでいます。加えて、日本文化を背景にした戦後の民主主義教育と、あらゆる異なるものが混在している町でした。そういう町に住んでいると、「価値観は一つではない」ことが感覚的にわかってきます。それぞれに価値があり、どれも真実である。だから、これでなければならないことはないと自然に嗅ぎ分けられるようになりました。

価値観は一つではないと知っておくことは、デザインをしていく上で最も大切なことです。外国に行くと、日本の価値観とはだいぶ違うことがわかります。その価値観の違いは互いにいがみ合うものではなく、どちらが面白いかということ。違いを感じることは、心がときめくきっかけにもなります。多くの芸術家が行き詰ると旅をするのは、自分と違う価値観を身につけながら、自分の内面にない新しいものを発育させようとするからです。日本と同じだったら行っても仕方がない。多くの人が旅に出る理由はそこにあります。

内田デザイン研究所設立

桑沢デザイン研究所を卒業後、 世界的なデザイナー倉俣史朗さんに紹介された企業に勤めました。2年くらい経ったころ独立を考えたのですが、彼に「今の状態ではだめだ。血気にはやり過ぎているから、もう少し冷静になれ」と止められました。それから1年後、突然電話がかかってきて、「独立したらどうか」と言われたので独立しました。

その時、何に血気にはやっていたかというと、『普通のデザイン』の中でも書きましたが、1968年を境に社会的パラダイムが一気に変わり、その狭間にいた私には、この先どのように世の中が変わるのか見えました。だから、早く独立して、何か形を作らないと追いつかないのではないかという焦りがあったのです。

工業を中心に社会が組み立てられていた時代で、「人間」と「社会」の関係がガラリと変わろうとしていた時期でした。科学的認識、工業的認識が社会を作っていく中で、人間はその仕組みの中に機械部品のようにはめ込まれた、言わば「社会のための人間」だったと思います。

1968年以降は情報化時代に入り、私には「社会のための個人」ではなく、「個人のための社会を作らなければならない」という大きなイメージがありました。実際には今もっとひどい状態になっていると思うけれど、当時は、デザインと人間の関係はどうなっていくのか。自然との関係はどうなっていくのかというようなことを日々考えていました。

私の哲学

 教育問題を扱った大きな会議で、教育は「守破離」だという話をしたことがあります。守破離とは、「お手本を守り、完全にマスターするのが『守』。その手本に基づき自分なりの創意工夫をして、確固たる技法やスキルを身につけるのが『破』。さらにそれを極めるのが『離』である」という考え方です。

今の教育には、この「守」が欠けている。観察、研究し、人からものを教わるという態度が全くありません。「破格」という言葉がありますが、人から教わったものがないと、そこから離れることも破ることもできないのに、格を知らないうちから破格ばかりやってしまう。デザインには脱日常、超日常があり、これは日常のやや退屈な時間に対して少し華やかな時間で、必然的にデザインも華やかになります。この時間は人が生きるための時間全体の2割程度なのに、多くのデザイナーは脱日常的なデザインばかりをしたがる。やや派手なデザインが出来るし、雑誌などに取り上げられて注目を浴びるためです。しかし、華やかなデザインは、日常のデザインがしっかりできいないと良いものは作れません。

最も難しいのは日常のデザインです。いいかげんなデザインはすぐにわかります。「美」は日常の中に宿っている。特別なものは一瞬華やかでも、飽きてしまうものも多い。日常の美は、常に無理のない美でなくてはならない。それは、デザインが人の心に向かって行われるものだからです。

つまり、ずっと「守」、型を一生やりなさいということではなく、いつか破って離れなさいという意味です。ここで初めて本当の意味でのクリエイティブが出てくるわけで、「守破離」の凄さはそこにあります。さまざまな文化の基本もすべて守破離に凝縮されているのです。

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物事を「観察」をすることの重要性、またその際の「価値観」は多様であるというお考えは、今後、弊社のサービス提供の上でも大切にしなければならないポイントだと思いました。内田繁先生が20代、いろいろなことをお考えになり、それらを作品として表現されてきたことが伝わってきました。また、「守破離」の「守」の部分がどんな仕事においても最も大切な部分だと改めて感じました。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2007年11月 内田デザイン研究所にて  編集:楠田尚美  撮影:鮎澤大輝